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我が家のコンクール騒動記

 

 恵理子先生がコンクールのお話をされた時、長男のK(8歳)は今年も「出る!出る!」と即答していたが、長女のY(5歳)については、私自身もまだいいだろうと心のどこかで思っていた。しかし、あにはからんや、Kが練習を始めてしばらくたった頃、突然、Yが「どうして私は出られへんの?」と聞いてきた。虚を突かれたとは、まさにこのことである。「出たいの?」と聞くと、すぐに「うん」と返事をする。とにかく「次のレッスンの時に先生にお話しようね」ということでその場を納めたが、案の定、先生も私以上にとても驚かれていた。しかし、Yの気持ちを大切に思ってくださり、「じゃあ、出ようね」とおっしゃっていただいた。とはいえ、その時点でピティナのコンペまで1ヶ月とわずか、その後は予想通り、先生も私も戦争のような日々が始まった。申し込みの締め切り前日に曲が決まった。翌日、会社を抜け出して申込金の払い込みに郵便局に走った。本当に1ヶ月で2曲も弾けるのかな、と少し心配もあったが、この期に及んで素人考えは何の役にも立たず、すべてを先生にお任せすることにした結果、予選も2回受けることになった。

1回目の予選は、練習不足もあり、もちろん通過はできなかった。それ以上に、非常にレベルの高いコンペだと実感した。Yも周りの子のうまさに、きっと衝撃を受けたのだろう。その日から本人の練習態度が一変した。夜はもちろん、朝少し早く起きて保育園に行く前にも練習するようになった。とてもピアノに向き合った練習ができた。1週間後に開催された2回目の予選も、結果的には通過には至らなかった。しかし、限られた練習時間の中で、親馬鹿かもしれないが、とても「いい音」で弾けたという印象があり、本人も納得した演奏だったので、めでたしめでたしとなるはずだった。が、それは甘かった。

喜びもつかの間、Yの口から飛び出したのは「うまく弾けたのに何で合格ちゃうん?」の質問である。ついに来たか、の瞬間だった。以前、Kが初めてコンクールに出場した際にも、掲示発表を見て「僕の名前がないから、本当にあかんかったんかどうか聞いてきていい?」と半べそで聞かれ、答えに窮した記憶がある。本人のできさえ良ければ合格するピティナのステップと、本人のできが良くても他の子供との比較で合否が決まるコンクールの違いが十分に理解できていないのである。やっぱり5歳にコンクールはどうだったのかな?とも思った。

しかし、当初から「合格した方がいいけれども、かっこよく素敵な音で弾けるようになるのが目的よ」と動機付けしてきたので、本人に気持ちよく弾けたかどうかを確認した。親としてはとてもいい出来栄えだったと思っていることを伝えた上で、それでも合格できなかったのは、他の子の方が少しうまかったからだと繰り返し説明した。しばらくは少しへこんでいたし、上海のお父さんにも電話をかけて「なんで合格ちがうん?」と聞いてもいたが、最近また別のコンクールに出たいと言い出したところをみると、立ち直りは早かった。過日、無事に予選を通過したKとも合わせ、2人ともまた熱い秋になりそうである。

 子供たちがピアノを始め、コンクールに出ることによって我が家は大きく変化した。最初のコンクールで自宅のピアノをグランドピアノに買い替え、続いて主人の単身赴任先(上海)でも練習できるようにと中国で中古のアップライトを購入した。2回目のコンクールでは、以前習っていたヴァイオリンを私が復活することになり、加えて主人までもがピアノを始めた。3回目の今年は、ついにレッスン部屋を防音室に大改造することになった。これからは、いつでも皆が弾きたい時に弾けるようになる。

このような「マジの音楽一家」になるとは想像さえしていなかった。しかし、こうなった以上、一日でも長く子供たちが音楽を楽しめるようにサポートしていきたい。また音楽が、夫婦や家族の新しい絆になればと願っている。

                                Y母




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